ヤマハのRZ50さん
時にして約3年程
この一文目でもう可笑しな気分だ。
もっと乗ってる気がする。
そういうものなのだろうか。
およそ22歳で自動車の免許をとった
先輩からタダでスクーターを頂いたが
物足りず一ヶ月ほどで飽きてしまった。
速いのが欲しかった。
それがYAMAHA RZ50だった。
走行距離8000キロの中古車
ネットで置いてある店を調べ
ドキドキしながらこの子には出会った。
会った5分で買った。後に引けなかった。
納車して一人団地内をビィーっと練習
おそらくバイク好きそうなおじさんが
暖かい目で見守ってくれていた。
公道デビュー。
これは帰路だ。
そして最高だった。
バイク屋がガソリンをケチっていて
ガス欠になり友達に応援を頼んだ事がなつかしい。
(オイル缶一本サービスしてくれと頼んだせいだろう)
これは半ズボンで運転したせいでハチに刺された日だと思う。
もう二度とそんなヘマしない。
釣り仲間はバイク仲間だった。
皆大きいバイクで羨ましかった。
けどさすがツーストバイク
自分にはこれくらいでいいとも感じていた。
元々ピカピカなくせに
磨いたつもりで洗車。
記念撮影。
写真は時系列があやふやしている
これはミラーが両方欲しくて
買い直して付け替えてある。
フルフェイスヘルメットもたしかこの日に
ホームセンターで買った。
何度も何度も走った。
いつも夕方と深夜。
今はとてもできない。
大きなバイクの中に自分がいるのが
面白くて撮った。
今見るとすごい景色だ。
こうして純正を眺めているのにちゃんと自分のバイクだって
思うのは面白いことだ。
違うバイクを見るとやはり少し違って見える。
江田島へ友達に会いにも行った。
RZなら余裕だ!なんて思った。
宮島にだっていったぞ!
スマホ片手に鹿を取りながらRZと散歩したぞ!
カスタムを教わった。
メッキモール。
ここから外装への関心が高まって(暴走して)いった。
これも愛、、
エイプシートを移植してもらった。
Z2テールをつけてもらった。
RZもその変化はその''目''で感じていた。
すっかり酔いしれていた。
そうして若者バイクへと凌駕していったRZ
うーんこれも愛。。
やりきった感からか
もっと色々なことがしたいという探究心からか
ここから第2章のカスタムが幕をあけた。
エイプタンク、エイプ純正フェンダー
青を脱いだ。
当時は青が嫌だ。そんな気分なだけだった。
ニャマハである。
即席ステーが折れ曲がっている。
だいぶやれてきた。
ああいう扱いすると2年でこうなるのだな、、
この時代は車ばかり乗って
ほとんど乗らなくなっていた。
けど乗りたい時に動いてくれるいいやつだ。
しかしツーリングはほとんどしてない。
地味に月日が流れた。
ここで環境に変化が訪れた。
バイク熱が再沸騰!!
チャンバーを変えたりフェンダーを変えたり!
じゃーん!!
可愛い!!!
バイクは!!
最高だ!!!!
しかし
ここで私は一生つきまとう難病をかかえた。
入院。
筋肉が破壊されていく病気だ。
抗SRP抗体陽性ミオパチーという
非常に珍しい病気
もう少し手遅れだと
既にこのブログすら打てないくらい
筋肉をうしなっていた
これからどうなるかは分からない
けどこのままだと後悔しかない
せめて中型バイクに。
こんなに思い出をくれたヤマハのバイクに
もっと乗りたい。
入院前はずっとバイクと過ごした。
入院の暇つぶしはずっとバイクが頭の中にある。
ライテクや全車図鑑や
情報誌や漫画やカタログ
そして一台のバイクと出会う。
ヤマハ ルネッサ
これがまた一目惚れだ
25歳としての。
エンジン、外装、メーター、ホイール、
サスペンション、マフラー、テール、なにひとつ不満がない。
今はこいつに会ってみたい。
正直まだRZ50に
いやずっとRZ50に乗っていたい。
200ccのエンジンでも積んで
ずっとずっとこいつに跨りたい。
けどそんなことできないし
他のバイクに乗るべきなんだと思う。
もちろんRZ50を手放すつもりなんてサラサラない。
とにかく退院したら
ルネッサに会ってみたいなあ、、、
ヤマハ様
どうかこれ以上僕の筋肉が無くならないように見守っていてください。
あと退院したら速くRZ50に会いたいなあ。
ちゃんと運転できるのかなぁ。
かわいいのう。